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魏志倭人伝(8)末盧國(2)

2011/08/28 Sun

末盧國は松浦郡である。

では・・・松浦郡のどの辺りかを考察します。
37_b呼子
呼子案内より借用しました。

今の松浦郡の呼子付近かその近辺なのかです。

呼子(よびこ)は壱岐から距離的に一番ちかいのです。

ここは今でも良港で、海から直に山に駆け登ったような地形です。

一度この漁師町に車で入ってしまいました。

車同士ですれ違いが出来ない程の狭い道で
ヒヤヒヤすながら運転した経験がありました。

まるで山にへばり付いて建っている家並みです。

漁港の呼子では朝市が開催されて、
新鮮な魚介類が多く売られています。


魏志倭人伝では

壱岐国(一大国)から一海を渡ること千余里です。

使者の上陸地点としては、呼子は少し近いようです。

よって、呼子を通過して東西のどちらかに寄っていると思います。

一帯はリアス式海岸ですから、情景は同じです。

そこに4000戸が有るそうです。



時代は違うのですが、

この呼子すぐ西側に太閤秀吉の名護屋城があります。

唐津からは車で30分の呼子の更に西の方面に当たります。

夏に名護屋城を見に、唐津から204号線を車で向かいました。

呼子を過ぎて山間の道を少し走っていると、
突然に道路標識に驚かされました。

徳川家康、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政
私が知っている武将の名前ばかりが目に入って来ます。

しかもそうそうたる戦国武将の名前なのです。

ここはどういう場所なのか?
不思議な空間に迷い込んだ気になります。

さらに海に掛かる大橋を渡ると
小西行長、前田利家の陣跡と続いてくるのです。

こんな陣跡だらけの名護屋城とは一体どういう代物か。

何か私の心が躍ってくるし、期待感もこみ上げてくる。

以前から名護屋城跡は石垣の崩れた写真で見ていたし、
歴史書でも読んでいました。

名護屋城は5ヵ月ほどで急ぎ作った城
荒れ果てた城の石垣だけが
残っているだけと思っていたのです。

しかしこれは思ったよりはスケールが大きい代物であると感じてきた。

名護屋城の城跡の矢印に車を進めていると
正面に近代的建物の佐賀県立名護屋城博物館があったので、
先ずはそちらから見学する事にしました。

hakubutukan.jpg

この博物館は立派な建物で
名護屋城の発掘調査や石垣の修理を行っているのと同時に
日韓の友好も行っているそうです。

当時の韓国人の生活が人形で再現されていた。

それは医女チャングムでよく見かける光景です。

桃山時代に当時は平和な朝鮮半島に攻め込んで行った拠点が、
日韓友好の事業も行っているのは、
戦争に対する反省もありますので、良い事ですね。

名護屋城の模型は中央に展示されていた。

その他古代の遺物が展示してある。

また展示場の係りの人が来館者に
一人一人に挨拶をしているのにも好感がもてました。

この博物館の発展を期待します。
プロフィール

(井案)

Author:(井案)
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