スポンサーサイト

--/--/-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

傷寒論(10)早すぎる若者の死

2012/12/20 Thu

傷寒論(10)早すぎる若者の死

(イアン)
明日は冬至、マヤ歴の最後の日です。

次の日からは太陽の光は復活し、マヤ歴も新年です。

今日は鎌倉の牧師宅での食事会が有りました。

部屋の窓からは相模湾が少し見えます。

南向きで日が入り、暖かい所です。

mail.鎌倉食3
今回はローストビーフで早めのクリスマスでした。

mail.鎌倉食2
プチトマトの野菜の盛り合わせ。

mail.鎌倉食1
フランスパンの中をくり抜き、
海老、貝柱、牡蠣などが入ったクリームシチュー


mail 鎌倉食
デザートは甘さ控えめでとっても美味しかった~
早めのクリスマスを味わいました。

(傷寒論序文の訓読)
余(よ)の宗族(そうぞく)素(もと)多し、
向(さき)に二百の余り。
延安紀年より、猶(なお)未だ十年にならざるに、
其の死亡する者、三分に二有り、
傷寒は十に其の七に居(きょ)す。
往昔(おうせき)の淪喪(そうりん)に感じ、
横夭(おうよう)の救い莫(なげ)きを傷む、


(井案)
前回は人を愛し、物に感謝し、
これが自分の技術も高める事せした。

ここから序文の内容の面行きが変わります。

横夭(おうよう)とは若くして死亡する事です。

仲景の親戚は元々多くて200人も居たのですが、
建安時代のほんの10年間の短い間
バタバタと死亡する者が、3分の2に達したのです。

そして、その内10分の7は傷寒にかかって死んだのです。

建安(196年~220年)は後漢末期

(T_T)/~~~ チジンガ ナクナルノハ カナシイデス。

こうして死亡者の続出したこと、
年若くして多くの死んでゆく人々を
救う手段のなかったことを嘆くのです。

確かに酷い話です。

((+_+)) ゼント ユウボウナ ワカモノガ

内容から一族の200人が10年間に
130人以上が亡くなったことになります。

しかもその100人弱が熱性伝染病での死亡です。

1人でも大変な騒ぎですのに、数が多過ぎます。

\(◎o◎)/! ドーシテー

また仲景の一族だけが死亡しているのでしょうか。

これが全体に起これば、近隣の町は人口が激減いたします。

では何故に仲景一族に集中したのでしょうか。

井が案ずるに、
長沙とは英雄関羽と豪傑黄忠の戦いは有名ですが、
高温多湿地帯で、昔は流行性熱病多発地帯でした。

(>_<) コウオン ト シッケ ガー

張仲景の一族にはこの流行性熱病多発地帯の長沙での
ヴィールスに対する免疫力が無かったのでしょう。

原因は?北方からの仲景一族が
大勢で移住したのではないかとも考えられます。

延安年間といえば、後漢末期の三国の動乱時代です。

長沙には赤壁の戦いの後で劉備の関羽が攻めて来ました。

長沙の民は戦争で疲弊していたのでしょうか?

体力と免疫力の低下で熱性の病気に
耐えられなかったのかも知れません。

(^_^;) ヘイワガ イチバン デス

このような昔の出来事に大変に気落ちがして、
仕方が無いなーと諦めるのではなく

これからの若い人が亡くなった事に対して、
この若者を救う手だてが無かったのかと
自分の不甲斐なさを嘆くのです。

この後に何か期待ができそうですね。

彼の勉強は何をどの様にしたのか?

(Ian)
余り頑張らないで、
マ!いいか と云う感じで、
健康で素晴らしい年をお迎え下さい。

スポンサーサイト
プロフィール

(井案)

Author:(井案)
好漢堂のブログへようこそ!
東洋医学をもっと身近に感じてもらいたいので、
このブログを開きました。
質問を気軽にして頂ければを思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。