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魏志倭人伝(9)名護屋城

2011/10/04 Tue

名護屋城跡

佐賀県立名護屋城博物館の裏の階段からは、
大名の木下延俊の陣屋跡が見学できるようになっています。


陣屋跡といっても、驚くほど確りした石垣があり、
本丸、二の丸などの廓が存在しており、
まるで小振りの城の様相であるのには驚きます。


全国の主な大名がこの名護屋城の回りに集合して、
城の様な陣屋を名護屋城中心に3キロ範囲に渡り、
120も有るそうで、これはちょっと想像が付かない代物です。


早速、名護屋城の本丸に探索に向かう。

手前の案内所で幾ばくかの掃除代を払い遺跡に入る。

nagoyajou-mokei.jpg
佐賀県立名護屋城博物館での名護屋城の模型写真


博物館での模型では城の規模は普通のお城の様子でしたが、
後で、城の遺跡を歩いてみると、名護屋城の大きい事が分りました。


上の模型写真ではちょうど名護屋城博物館から見た様子です。

正面の大手門から広いゆっくりした右上りの坂道を行きます。

模型では手前の右側の四角く見える東出丸に出ます。

この東出丸も実際は長方形で広い物でした。

高い石垣からは辺りを見渡せる事ができました。

ここの右下には秀吉が暮らしていた山里丸が在ったのです。

更にその右手に堀割が見られるが、
この掘には船の出入りが行われており、
堀の右側の奥には台所丸の石垣が突き出て見えています。



ここに秀吉は住んでいたのです。

当時松浦一の絶世の美女と評判のあった、
名護屋越前守経述の妹で、
当時は二十歳の広子を側室に迎えたのです。


この山里丸と呼ばれる名護屋城の一角に住まわせたのですが、
さて、淀君もこの城には来ているのです。

では山里君の運命はいかに・・・
しかし、彼女には子供が出来ていないので、
淀君と這い合う訳にも行かないが・・・。


そこを面白く小説が書けそうですが、

まだ誰もこの主題には手をつけていないのです。

何故、淀君だけが2人も子供が出来たのか不思議です。


更に東出丸から反転して登ると、広い三の丸に入る。

今は木々が生い茂り、良い日蔭を作ってくれているが、
当時は建物が軒を連ねていたそうだ。

この三の丸を通り過ぎて本丸に登る手前の坂にさしかかる。

道の幅も広く、大きく右に湾曲した登り坂です。

坂に足を踏み入れると、落ち葉の下から伝わって来る、
今までの足の感覚が違っているのに気付く。


それもそのはずで、この坂道には黒色の大きな玉砂利が
一面に敷き占めてあるようなのです。

この近くで石垣を調査している数人の人が居たので、
この玉砂利は以前から在るのかと尋ねてみると、

これは以前のままで、城の重要な箇所には、
この様に玉砂利を敷き占めてあると答えてくれた。


ここには本丸に通じる大手門があった場所です。

廃城時に、豪華な門は仙台の青葉城にそっくり移築したそうだ。

しかしこの立派な大手門も米軍爆撃による戦災で
焼失してしまって、残念だが現在は残っていないそうです。


本当はしては、やってはいけないのですが…
落ち葉の下から、この玉砂利の一つを貰いました。ウフフ・・・
この時、山の神の鋭い目が私の背中に刺さりました。

ほら、玉砂利なんか、こんなに沢山あるじゃないか。

一つ位ならば良いのではと・・・でも
ごめんなさい。元の所に戻して置きました。

一つでも貴重な文化遺産でしからね。

後ろ髪を引かれながら、その場を立ち去る。

坂の周りは高い石垣で囲まれていて、
この場所が本丸に通じる重要な場所であることが分かる。

坂を登りきった場所には本丸大手門の跡が判る。

城の模型では天守手前の通りに見える門に当たります。
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コメント

Secret

良かったです☆

また、先生のブログが読める…よかったぁ~!
何が起こったのか、このまま止められてしまうのではと、
心配しておりました。

淀君にだけ子ができた理由の一つとして、
誰だったか失念いたしましたが、
秀吉の側近の○○と通じていたという予測を立てた方がいらっしゃいましたね。
秀吉は男性不妊症だったという説があります。
だから、秀頼は本当は秀吉の子ではなかったかもしれない。
それで、そんな推測が立つわけですが、本当の所はわかりません。
そういう所が、歴史の面白さだと思います。

白い月の風さんへ

ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。

お茶々の淀君も戦国時代に生きた女性で
最後には家康に踊らされましたが、
どん底から這い上がった根性のある人だと思います。
最後まで奮戦されたのでしょうね~

ブログの再開、お待ちしておりました(^O^)/
ほんとうに…朝晩冷えてまいりましたね。私は専ら食欲の秋で!?冬に備えたいと思います(笑)

名護屋城跡…ほんの目と鼻の先に居りますが、訪れた事がありません(^^;
大きなお城だったのですね。短い期間で完成したように聞きましたが…。
“黒色の玉砂利”私も一つ頂きたいです…なんて
是非是非、訪れてみたいと思います。

一支国娘さんへ

ご心配をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。

一支国の方も寒くなって来ましたか!
そちらは暖流に囲まれて暖かいと思っていました。
一支国と伊都国の埋葬の仕方が違うのです。
だからもう一度行ってみたいと思っております。
しかも一支国と志賀島と同じなのです。
これは不思議と思いませんか。
この島同士の間に行き来があったのです。
若しくは違う国家が存在したのですね。

名護屋城跡はそちらからは近いです。
隣接する県立博物館も充実していますから、
是非、名護屋城を訪れて下さい。
“黒色の玉砂利”も文化財ですので、
そのまま後世の人々に伝えて下さい(笑う)
プロフィール

(井案)

Author:(井案)
好漢堂のブログへようこそ!
東洋医学をもっと身近に感じてもらいたいので、
このブログを開きました。
質問を気軽にして頂ければを思います。

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