倭人伝(10)名護屋城(2)

2011/10/05 Wed

魏志倭人伝(10)名護屋城(2)

本丸に登ると真中は調査中で青いシートが掛けてあり、
今の本丸は広い空き地となっていなす。

端には太平洋戦争時に建てられたのか忠魂碑が、
何か忘れられた感じでポツンと建っています。


本丸大手門から対角線の東の隅に
少し高くなった四角い囲みを見つけました。

これが名護屋城の天守閣の跡だ。

目前には、美しい海と島と青い空が広がっています。

腰に手を当て海に向かって胸一杯に空気を吸い込み、
遠く玄界灘を見渡たせる、実に広い。

幾多の島影の奥に微かに対馬が見えるそうです。

とても美しい光景であるのと、
あまりの広さにビックリさせられるのです。


秀吉はこの天守閣に登り、
遠く明国の征服を思っていたのだろう。

男ならその気にさせられる広さだ~~っ。

しかし迷惑したのが、当時平和だった朝鮮王朝でした。

秀吉も野暮な事をいたしました~っ。


城の案内板によると、
ここから海までには陣屋の様子がビッシリと書かれてあります。

目の前の半島の全てが各大名の陣屋だらけだったのです。

実際に天守跡に立って眺めて見ると、
当時は凄く広い城郭であった事が分かります。

秀吉とは凄い男だったようだ。

一介の水飲み百姓の息子がここまで来たのだ。

運もあったろうが、友にも人材にも恵まれたのであろう。

確かに凄い男だ。彼こそ英雄気質のある腎実証の人でしょう。



名護屋城天守閣跡地に立っていると、
気持ちの良い風が身体を吹き抜けて行くのが感じるのです。

自分が何か大きく成ったような気分にさせられる。

この雄大な風景を十分に堪能したので帰ることにした。


海側には二の丸跡があり、
本丸から見ると何やら調査のためのシートが見える。

現在は左手の奥には大きな風力発電数機の羽がゆっくりと回っている。

更に奥には玄海原発が稼働している。

福島原発の様な事故が起きると
近くの長崎や福岡市も避難しなければいけなくなるのだろう。



足の疲れも考えて、東手の水手曲輪には回らず、
元の三の丸に降りると、妻が林の向こうに行こうと言う。

私は石垣で行き止まりだからよそうよと言うと、
妻は「私は知っているから行こう」と言う。

しぶしぶ行ってみると、確かに林に隠れていた下る階段と道は在った。

しかも周りは石垣に囲まれた奇麗な道なのだ。

すると妻が冗談で
「私は淀君の生まれ変わりだから通った事があるの」と言う。

生まれ変わりだとしたら容貌はかなり無理があるが
性格は引き継いでいるのかなと思いながら階段を下りて行くと、
案内板には馬場とあります。


ここはちょうど本丸西側の石垣の下に当たる。

真っすぐな道だが本丸の石垣が規則的に崩されているのが分かります。

廃城にした時に人為的に崩したのであろう石垣が見えます。

そこから二の丸、弾正丸と搦手口に抜けますと、
この門の向こうには片桐且元の陣屋跡があるのです。

その先には加藤清正、福島正則と、ここにも大物が軒を連ねています。


私たちが歩いたのは城のほんの一角で、
後で地図を見たら、まだまだ大きい城であることがわかりました。

こんなのを作る秀吉に脅威を感じてしまう。

帰途に着く前に、ちょいと寄り道と思い、
烏賊料理で有名な河太郎の駐車場に入ると、

同乗者から「もうお腹には入らないよぉ」

仕方なく対岸の加部島に掛かる呼子大橋を急いで往復して帰りました。

個人的には烏賊の刺身が食べたかったな~っ。

この名護屋城で写真を撮っているのですが、
写真は昔の携帯で、今はこの写真は残っていません。
残念!
当時はまさかブログに載せるとは思っても居ませんでした。

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コメント

Secret

雄大ですねぇ

読んでいるだけで、「行って見たい」衝動に駆られます。
奥様は淀君の生まれ変わりでしたか~。
それは素晴しい(!)
そのお陰で、馬場が見られた訳ですね。
そこで、許されたお侍以外は馬を降り、お供はそこで待っていたのですね。
雄大な景色の中で待つのも風流です。
対馬が見えるのですか。
ますます行ってみたくなりました。

腎実証!めったにお目にかかれませんが、
秀吉の様なタイプなのですね。

一支国博物館に、大きな素焼きの土器(かめ棺)が展示されています。
二つ合わせて使うそうです(大人)。

次回は是非、烏賊の活き作りをお召し上がり下さい(^^)

白い月の風さんへ

九州は良い所です。
将来、住んでみたい場所です。
山ノ神が承諾すれば、今頃は九州に居ます。
この神が問題で、山の如く動かない。
普段は風の如く家に居ないのです。

壱支国娘さんへ

良く読まれました。
この「 腎実証」 が言いたかったのです。
普通は腎実証と心虚証は居ないと言われています。
でも、この腎実証はたまに出てくるのです。

これが英雄タイプなのです。
一緒につるんでいれば楽しいのですし、豪快です。
小さくは何とかの親分とか言われる人です。
今で言うと勝新太郎タイプですかね。
よって、めったにお目にかかれません。

かめ棺埋葬は北九州全般に多い方法です。
ところが、一部で石棺があるのです。
さらに面白いのが、伊都国の女王墓は違うのです。
その内に紹介します。お楽しみに。
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(井案)

Author:(井案)
好漢堂のブログへようこそ!
東洋医学をもっと身近に感じてもらいたいので、
このブログを開きました。
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