魏志倭人伝(19)大陸からの玄関口

2012/02/12 Sun

大陸からの玄関口

(倭人伝・原文)
東南 陸行 五百里 至 伊都國 


(井案)

末盧國から東南で陸行すると直ぐの所に、
右手に鏡山を見ながら行きます。

この鏡山は別名
「領布振山」(ひれふりやま)と呼ばれています。

海抜が284mで丘のようですが、

海岸から見上げると大きく感じ、
この山の頂上付近からの眺めは、

眼下に広がる、虹の松原や唐津市街地及び
唐津湾が一望できる絶好のポイントがあります。

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そして遥か壱岐の島陰(一大国)も見えます。

宝くじが当たることで有名な
宝当神社がある高島も近くに見えます。

鏡山の山頂には「松浦佐用姫」の物語があります。

百済の救援にむかう軍船を整えている間に、
青年武将大伴狭手彦と佐用姫が恋愛関係になり、
朝鮮半島に向かう船団に向かって別れを惜しんだ話です。
(T_T)
今でも大きな神社があり、
お参りの人も多いそうです。

唐津の地は弥生時代から奈良時代まで、
大陸に向かう玄関口だったのです。
(^^ゞ

他の港では考えられなかったのでしょうか?

今は福岡市の博多湾には港がありますが、
この末盧國で上陸している事は、
福岡までの海路は未だ開かれていなかったのでしょうか?

元時代の蒙古襲来は直接福岡に上陸して、

大宰府近くまで責め込んで来ています。

それよりも福岡湾の中央に浮かんでいる
志賀島(しかのしま)や能古島(のこのしま)には
この時は独立した水軍の勢力が
あったのではと思われるのです。


壱岐の水運と志賀島の水運が別に存在していたのです。

この理由は伊都国の後半で説明します。

その勢力の為に、倭人達は
鏡山の下を伊都国に向かって歩いたのでしょう。

この先には城山に当たりますが、
ここから右手の内陸に入れば、
佐賀県の吉野ヶ里遺跡に直行できます。


左手の海岸線に沿って約25キロ行けば
伊都国の平野に着きます。


海岸線と言っても小さいが山の稜線を
何本か超えて行かなければなりません。


この伊都国に向かった理由は
次の節の原文で紹介します。
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